「約束を守る時間にあこがれる待ちくたびれた風の結晶」
「少年のそばで体に近づけばデフォルメされた秋のほほえみ」
「ぬくもりを見た朝に影おととしの街がいっぱい風の爪あと」
短歌を3つ並べてみた。
実はこれらの短歌には作者がいない。
どういうことか?
このサイトを見てほしい。
つまりいくつか登録された単語をコンピューターが勝手に選び抜いて5・7・5・7・7の短歌を自動で作ってしまっているという。
ページを更新する度に新しい短歌が生まれてくるのは見ているだけでも面白い。
ただし読むだけではない。
「ぶらんこに伝わる雨の横顔を見送っている漆黒の花」
のような、コンピューターが無作為に並べた言葉にも関わらず、これを読む人間が何故か詠み手の気持ちを感じられてしまうところがかなり興味深い。
雨の日のブランコとその後ろに咲く黒い花の情景が浮かび、それを詠んだ人の背景が気になってしまう。
ランダムな言葉の羅列なのに、この句は良いとか悪いとか思いながら読めてしまう。
例えば、
「中学生のにおいにみえる」
と出てきた。
普通は「におい」というものを「みえる」とは表現しない。
これが“記事”や“作文”であれば、そんな表現はない、意味わからん、と一蹴できるが、“短歌”だと言われるとそこに意図があるのかなと考えることができてしまう。
もちろんこのサイトをずっと見ていると頻出する単語や表現が見えてくるので見方は変わっていってしまうが、人が何もないものから何かを受け取ってしまうことに気づく良い機会だと思う。
そしてこの自動短歌に慣れすぎてしまうと、お〜いお茶のラベルに書かれた俳句が怪しく見えてきてしまったりする。
とはいえ、そういう疑う気持ちは大切だ。
もう一つサイトを載せる。
ここには様々な顔写真が並ぶ。
このサイトのタイトルは“This person does not exist”、訳すと「この人は存在していません」
つまりこれもコンピューターによる自動生成。
世界のあらゆる顔写真のデータを組み替えて作り出しているという。
例えば3番目の女性の写真に「新エネルギーを発見したクライン教授」とかつけられると信じてしまいそうになる。
今はもう既に「面白いね〜」で済ませられる時代を過ぎてしまっている。
簡単に自分の感情が流されないよう万全の注意が必要だ。