ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

フォークパン

仕事でドイツに行った際、毎回必ず訪れるイタリアンのお店がある。

 

外観はいつも真っ暗。そうだとわかっていても開いているのかと毎回不安にさせられる。

そして中に入ると店員はいない。奥にいるのでEntschuldigung! (すみません)と呼ばなくてはならない。

ちなみに客もいない。いても1組。

 

毎回のことで慣れてしまったが、メニュー表をくれない。わざわざもらいに行ってテーブルで注文を決める。

料理を待つ間にトイレに立つ。店の奥にある階段で真っ暗な地下へ降りる。センサーで廊下の電気が点く。トイレから出ると廊下の電気は消えていてセンサーが反応するまでそろそろと直進する。何度やってもこれは慣れない。いつもちょっと怖い。

 

いよいよ料理が来る。1人分は多いので数名でピザとパスタを分け合いたいが、取り皿がない。というかドイツには取り皿という文化がないので「小さいお皿」を頼んでもらいに行かなくてはならない。そして人数分頼んだはずなのに1枚しかくれない。何に使うんだ?って顔をされる。

 

さて、取り分けようと思うが、フォークとナイフも人数分来ていない。しばらく待っているとナイフだけ人数分来た。ピザはナイフでいいけどフォークがないとパスタを取り分けることができない。

更にしばらく待ってからようやくフォークがきた。同行者の一人がフォークが来たことに喜んでいた。

 

これくらい面倒な店なのに毎年行っている。

なぜか?

それはとても美味しいから。

 

ピザもパスタもとても美味しい。

サラミやチーズやオリーブがかなり効いていて、ルッコラや生ハムも入っているものもある。店は空席だらけでもデリバリーの注文は受けている様子。

 

こういうのもアリかもしれないと思う。

やはり日本のサービスは行き過ぎている。

なんでも店員さんにしてもらって当たり前だという考え方に疑問を持ってみてもいい。

慣れない土地で、わからない言葉でやり取りして、いろんな苦労を経てやっと出てきたフォークにそりゃあ歓声を上げるでしょ。

そして料理が美味しいことでそれまでの不安が解消される。

実は人間はそんなにサービスを必要としていないのかもしれない。

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