ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

自分では何も決められないパン

ここ数日、「決断」というものについて考える機会が重なった。

 

「決める」ということを何となく避けてきた経験は誰にでもあると思う。

まぁそのうちなんとかなるっしょ、とか、

何か背中を押すきっかけでもあればねぇ、とか思ってる人って多いんじゃないだろうか。

 

多分ね、そんな人はきっかけがあっても決めないと思うよ!

 

僕が完全にそういうタイプなのでよくわかる。

たとえめちゃくちゃ良いタイミングが来ても「いやぁ今じゃないでしょ〜」などととにかく言い訳を作るのが上手いんだわ。

 

なんでだろうかと考えた時に、思い当たることがあった。日本の教育だ。

日本で一般的な教育をまともに受けてきた人はほとんどこうなるに違いない気がした。

というのも、教えられたことを覚える、決められたことをやる、勧められた方へ進む、この繰り返しだからだ。

幾つかの選択肢から選ぶことはたまにあるが、無限の可能性の中から自分で選んで決めるという経験はもの凄く少ない。

 

そういえば日本の総理大臣や各都道府県知事のコロナ対策の会見などを見ていてもそうじゃないか。いつも曖昧な言い回しをしてはっきりとしたことを言わないから国民は不安になるし何言ってんだと批判もされる。

ドイツのメルケル首相のように「ドイツには悲惨な歴史があるので人々の生活を縛るという決断は本来はしたくない。しかし、今だけは、どうか家から出ないでください」とはっきりした口調でカメラを真っ直ぐ見据えて堂々と言われると、皆納得できるではないか。

 

やっぱり自分で「決める」発言というのは難しいのだ。しかしいつまでも逃げ惑う訳にもいかない。生きていれば何度か大事な「決断」の場面に遭遇する。別にいつも即決即決でいけということではない。様々な考えを巡らせた後、自分が後悔する前に早く「決めて」しまった方がいい。

 

誰か他の人に決められたことって絶対どこかにわだかまりが残るから、自分の人生は自分で決めていこう。

そして教育も。自分で決められる子供を育てていくべきだと考えている。

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