ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

エストニアパン㉔墓地

7時に目が覚め、散歩に出る。地図上では近所に公園があるので行ってみるも、これは明らかに地形が悪すぎて誰も欲しがらなくて空き地になっているだけの土地だ。憩いの場とは程遠い。エストニアでは各地にRimiがあったけど、ヘルシンキにはドイツ系スーパーのLidlがあった。店内で焼いているパンコーナーでちょうど焼きたてのパンを女性店員が売り場のカゴにどさーっと流し込んでいた。日本じゃこんな陳列はあり得ない。しかもこぼれて落ちたパンをバックヤードに投げた!パンの安さに加えこの店員の給料の安さも物語っていそうな光景だった。

 

スーパーで買った食材で朝食を済ませてホステルをチェックアウト。またしばらく街を歩くも、ヘルシンキ全然面白くないなぁ。なんというか、東京に似た白々しさみたいなものを感じた。ここで生まれ育った方には申し訳ないけど。

昨日通りかかってちょっと気になっていたカフェに寄ってエスプレッソを注文。うーん、人通りが多いからかどうにも落ち着かない。このままじゃ本当にこの街に悪い印象を持ってしまうぞ。

と思っていたら次の通りでマリンバを演奏している人を見つけた。ちょっとした人だかりができていて、あの“百万本のバラの花を~”のやつとか、手品の時に流れる“チャラララララ~”のやつとか(どっちも曲名を知らん!)めっちゃ上手でようやくテンションが上がった。

 

まだ時間は十分にある。そうだ、美術館に行ってみよう!と思いついたがこの日は月曜で休館日だった。どうせなら沢山歩こうと駅のロッカーに荷物を預けて少し離れた自然史博物館へ。・・・ここも休館、そりゃそうだ。

本当に途方に暮れつつ歩き続けると、墓地に辿り着いた。入る気はなかったけど、偶々犬の散歩をしていたおじさんが「入っていいよ」と腰の高さくらいの柵を開けたままにしてくれたので入ってみる。ここが想像以上に素晴らしかった。

 

外国の墓地なんてどんなものだろうと完全に興味本位で申し訳なかったのだが、歩いている内に不思議な気持ちになっていった。亡くなった人の眠る場所でめちゃくちゃ「生」を感じた。よく見ると100年前に建てられたお墓もあるし、土が新しくなっていない所は今後もずっとそのままそこにあるのだろう。今のヘルシンキの人たちもいずれここに来るのかななんて陳腐なことまで考える。

 

そう、人はいつか必ず死ぬ。もっと身の回りの人達の話を聞いておこうと思った。そういえばずっと可愛がってもらったおばあちゃんのことをよく知らないな。今度地元に帰ったらおばあちゃんにインタビューをしてみよう。他の人にもいろいろ尋ねてみよう。

そして亡くなった父のことも思い返す。今の僕の姿を見て父はどう思うだろうか、何て言うだろうか。東京で暮らす中で自分の思い切りのなさや一歩引いてしまうところが凄く嫌で気になっていて、少しでもポジティブになれないかと一人旅に出てみたんだけどここに来てなんとなく答えが出たかもしれない。これは父の死と引き換えにもらった“優しさ”の類なんだろう。言い訳っぽいけど。

 

とても静かな墓地の中のベンチで思いっきり自分と向き合えた時間だった。