会社の人が社外向けの案内に「“エストニア”という言葉を入れない方がいいかな?」と相談していた。
どうやらこのツイートを見たらしい。
このツイートがかなりリツイートされていて話題になったことで、詳しい内容まで見ずに「なんかエストニアが炎上してる」という認識から話題を避けようと思ったようだけど、こういうのって良くないんじゃないかと後から考えた。
このツイートはエストニア大使館が「旧ソビエト」と呼ばれたことに対する批判をしたもので、そこにはエストニアという国がかつてのソ連やナチスドイツといった負の歴史とは一線を引いて独立国家として確立しているという自負が込められている。
だから別に「エストニア」という言葉を使うかどうかとは全く関係がないトピックなんだけど、「下手なことは言うべきじゃない」ということだけを受け取ってしまったのだと想像つく。
こうやって「炎上しそうなことには近づかないでおこう」という判断が意外と危うい。そのワードや話題を避けることがいつの間にか無用な差別や偏見に繋がるからだ。
だからこそ現代を生きる僕らは情報に対して、表面的な受け取り方ではなく、内容を精査するつもりで接し、吟味した上でアクションを起こさなくてはいけないなぁ。