ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

見えない部分がわからないパン

この頃本当に“怒り”を増幅させる話題が多いと思う。

何か1つ炎上したと思ったら翌週には全く別のところから湧き起こった炎に安易に群がる人が多いように見えてしまう。

 

そして何度も書いているように、自分としてはそういう流れには乗らないことに決めている。世の中の多くの人が怒っていることに何か足しても意味がないし、僕がコメントすることでそれまで知らなかったはずの誰かの怒りに繋がるのは良くないと考えているからだ。

 

ただ、僕の考えが世の中の大勢と逆のことが稀にある。多くの人が怒っているけど、それは違うんじゃないかと思う時、そういう発信をしてみたりする。

するとなんと「逆張り」だと指摘されてしまった。

なるほど確かに、他の話題では無言を貫いていて、発信するときは逆方向の意見ばかりであればそれは「逆張り」と言われても仕方ないのだ。

 

目に見える部分だけ見て相手を判断してはいけないとは思うけど、見えない部分がどれだけ残っているかはわからないのだから勘違いされても仕方ないのかもしれない。

 

例えば「若者はちょっとのことですぐヘコむ」みたいな言葉もよくあるけれども、その若者がヘコんでいる理由はその場の注意だけじゃなく、それまでのもっと小さな「ああすればよかったな」「ここがうまくいかなかったな」という心の中の反省を積み重ねた上で更に注意を受けたから、だったりもするんじゃないか。

 

見えない部分の使い方を考える。