ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

ヒーローってパン

人は悪い奴をやっつけるのが大好きだ。

 

事件を起こしたり、事故を起こしたり、不適切な発言や行為を指摘されたり、思わぬ失敗をしたりした人間をここぞとばかりに吊るし上げる。

 

「自分はこいつとは違う真っ当な人間だ」

「悪いことをしたんだから当然の報いだ」

そんな大義名分を履き違えた私刑が横行しているように思う。

 

どうしてこういう感情になるのか。

最近聞いた話が答えのような気がした。

 

長年にわたり日本の子供が見てきたテレビ番組やアニメの多くが戦隊モノのような勧善懲悪のストーリーを孕んでいる。

その世界では悪者が現れるとヒーローが登場し、撃退すれば周りから感謝される。

例えば誰もが知ってるアンパンマンは悪者をぶん殴って山の向こうへぶっ飛ばす。

 

これを子供の頃から日常的に見て育ってきたら影響を受けないはずがない。

一旦世の中に悪い奴が現れればとにかくボッコボコにして血祭りに上げる。そして自分はなんとヒーローになれる。

もはや本能だ。

これは注意したってなくならない。

 

Netflixの「DEVILMAN crybaby」はまさにこういう内容で、日夜人間を救うために悪魔退治してきたデビルマンが逆に人間に“悪魔だ!”と追い回される展開はやり切れない気持ちになる。

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アメリカのヒーローとしてバットマンが有名だが、実はバットマンは悪者を殺さない。捕まえて警察に引き渡すのだ。そしてその姿を決して明かさないので感謝もされない。孤独なヒーローだ。

そして街を脅かす悪者もただの悪者ではない。大抵の場合その人にも悲しい背景があり、自分なりの正義を信じて間違った方向に走ってしまった人物であることが多いのだ。つまり誰しもがボタンのかけ違いで悪者となりうるということを表している。

 

本当に子供に教えるべきことは、世の中にはいろんな人がいるということだ。

良いか悪いかの二元論ではなく、その間がある。白も黒も右も左も男も女も、その間がある。複雑で多様な背景を持った個々人は誰一人として同じではない。そういうことを遊びや絵本から知ってもらいたい。

戦隊ヒーローばかり見せている場合ではない。