NHKの特集より、
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貧困に苦しみ亡くなった母親をそのまま放置してしまった男性。
元々は外資系企業で年収1000万円以上貰っており、それを苦労をかけた母親に仕送りするという献身ぶり。そんな彼が解雇通告を機に逮捕されるまでに至った経緯が取材されている。
ここで気になるのが、次の一文。
見つからない仕事。減り続ける蓄え。焦りと不安が募るなかで、友人とも連絡を断つようになっていった。
いつしか就職も諦め、気力を失っていった。お金を使わないよう、家にひきこもる時間が長くなった。
これは笑えない現実だと思う。
こんな状況であることに誰かが気づくことができればよかったのだろうが、隣近所や役所が把握するというのも不可能な話ではある。
本人も助けを求めるという発想に至らないほど疲弊していた。
このところ「ひきこもり」が徐々に注目されつつある。特に8050問題と呼ばれる中高年世代のひきこもりは全国で61万人もいるそうだ。
川崎の酷い事件もあったが、社会はこの犯人だけを責めるのではなく、なぜこうなるに至ったかを考える必要がある。
もしかするとあの事件がもう身も心も限界だという合図だったのかもしれないとすら思える。
この記事の男性のように、仕事に就けずまともな生活すらままならない状況に追い込まれた結果としてのひきこもりも多いという。
社会の人間関係に疲れた人もいるそうだ。
ということは、今当たり前に会社に勤めている僕も貴方も誰もがそうなる可能性があるといえる。
そしてある程度年齢がいくと再就職先を見つけるのにも苦労する。
僕の知り合いの会社が人材募集をかけたところ応募はある程度あったという。しかし履歴書が雑に書かれていたり、埋めるべきところを埋めていないものが多く、そういうのは弾いているそうだ。
そんな話が僕の中で繋がった。
そこそこの年齢でまともに履歴書を書いていない人の背景には何があるんだろう。
もしかしたらどこかの会社でリストラにあい、ハローワークで再就職先を探すもなかなかうまくいかず、半ば諦めの気持ちが入っているのかもしれない。それでも勧められたところにとりあえず応募する…を繰り返しているのではないかと考えてしまう。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」という映画にもあったように、社会は弱者に対してこれでもかというほど厳しい。
決して他人事ではない。
自分の身にもいつか降りかかる恐れのあることについてどうすれば救われるか考えてみる。
笑えない現実に苦しめられても、リラックスして笑顔で過ごせるひとときがあるだけでどんなに楽になれるだろうか。
そして冷静を取り戻し、また助けを求めたり再就職に挑戦してみる気持ちを再燃させてほしい。