ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

ジャーナリストパン

ジャーナリストの堀潤さんの映像写真展「分断ヲ手当スルト云フ事」に行ってきた。

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入るやいなや、堀さんの取材映像が流れていて、4本計80分、一気に見入ってしまった。

 

中でも1番印象に残ったのは香港の映像。

まさに“今”起こっていること、それをジャーナリストが伝えることの重要性を実感する。

 

デモ隊と警察の衝突をあんなに近くでカメラに収めていることの恐ろしさを想像してみる。

黄色い安全ベストを着てガスマスクを装着していてもあの場にいると動悸が早くなってパニックになりそうだ。

だからそんなところにカメラを持って取材に向かうジャーナリストの尊さを改めて認識した。

 

それでも疑問に思うことがある。

 

ジャーナリストとしてカメラを持って香港に行ったからには、どうしても激しい映像を撮ることに執着してしまう気がする。

そりゃそう。催涙ガスが投げ込まれているところや、道端で物が燃えているところを見逃していてはジャーナリストは務まらない。

だけど、なんかこう激しい場面だけを見させられたようにも思えてしまう。

映像が衝撃的すぎて印象に残ってるからかもしれないけど、堀さんじゃなく他のカメラマンにはそういう人もいるだろうな。

 

それから、暴行のシーン。

それまでに見た香港の映像でもいくつかあったんだけど、こういう時周りをカメラマンが取り囲んでパシャパシャしてるのがとっても疑問に感じる。

目の前に殴ってる人と殴られてる人がいて、それを延々と写真に収めている。それでいいのだろうか?

プロスポーツの試合を360°あらゆる角度からカメラで捉えるのとは訳が違う。関わることが可能な距離で、1人の人間が酷い目にあっている。

ベッドなどに火をつけているシーンもそう。その行為が必要なのか?無駄に警察を焚きつけることにはならないか?そういう話をするでもなく、じっくりとカメラに収めている。なんとなく火遊びを面白がっているようにも見えてしまう。

 

これは“ジャーナリスト”として、肩入れをしないということなんだろうなとは予想がつく。結局自分が逮捕されたり怪我をしたり殺害されては元も子もないから、何よりも優先して「生きて帰る」ということなんだと思う。無事に帰りさえすればその映像や写真を公開することができるから。

 

堀さんを含めて、危険な現場を取材する人達を本当に尊敬する。

尊敬するからこそいくつもの疑問が浮かんでくる。

堀さんも多分そういう葛藤を抱えてるだろうなと信じてる。

その一方で、あの現場の興奮状態をもう一度求めてしまうことはないのかと、質問してみたい。