ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

HSPなんて要らないパン

ここ最近「HSP」という言葉がメディアで続けて取り上げられている。これはHighly Sensitive Personの略で、いろんなことが気になったり敏感に反応したりする気質のことを言う。番組やサイトなどでは「HSP診断」の名目でチェックリストが出てきたり、「HSPの人はこれが気になる」「これが苦手」と紹介されたりするので、自分もHSPに当てはまるという人も多いはず。

 

ただ、これらを見ていると、誰だって項目に当てはまるものもあれば当てはまらないものもあることに気づく。

例えば僕は人の足音がよく気になるが、街頭で流れる大音量のスピーカーは全く気にならない。つまり、これはHSPとかこれはそうじゃないとか、判別できるものじゃなくて、みんなそれぞれ違った“気になる”を持っているってことなんじゃないの?

 

さらに「HSPにはこう対応すればいい」みたいなものも合わせて紹介されたりするが、気になるものや苦手なものがみんな違うんだからそんなパーフェクトな対処法はなくて当然で、大切なのは一人ひとり向き合って「これは苦手」「ここまでは大丈夫」を理解すること、伝え合うことなんだと思う。

 

人は何にでも名前をつけてラベルを貼って安心してしまうんだけど、「HSP」と言いつつもそれぞれ感じ方にズレはあるはずで、みんな誰ともピッタリ合うことはない。

だったら私はHSPだ、あの人はHSPだと名前をつけるんじゃなく、世界でたった一人の“あなた”として互いの個性を認め合うことが1番大事じゃないかと。

 

だからメディアがやたらセンセーショナルにこの言葉を扱うことに僕は全く賛成していなくて、むしろ「自分もHSPかな」「違うかな」と悩ませる種を増やしてしまうのであれば、そういうサイトや動画は一切見ないようにと呼びかけていきたい。

 

 

あと、インクルーシブな社会について考えた。「インクルーシブ」という言葉は障害者も一緒に暮らすようなイメージで捉えられるが、全員がもともと違いを持った一人として尊重されることとしていれば、そこにラベリングは必要なく、それぞれが生きやすいように主張・発信をしていけることが本当のインクルーシブ社会なのではないだろうか。

 

だからもうHSPなんて言葉に頼らないで「私はこうです」と主語を一人称にして気持ちを伝えていけるといいかなと思っている。

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