ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

面白ければなんでもいい?パン

10年くらい前、SNSのプロフィール欄に「面白ければなんでもよし!」と書いた。
多分当時は若くて勢いがあって、それゆえ世の中を甘く見ていたんだと思う。
今になってこの言葉が重くのしかかる。

 

このフレーズを座右の銘のようにしている人は案外多いだろう。人生のうちで「面白いこと」をしたくない人というのはそんなにいないはずだ。

しかし本当に「面白ければなんでもよし!」なのか?

 

ネットを通じて世の中の様々な人の行いが目の前に現れるようになった。
するとその中で「面白いことをやっている」けれども「一部の人に迷惑をかけている」ものが良くも悪くも目立つようになってきた。

 

最近でいえばある政党が1人の有名なYouTuberを選挙に擁立した。この人は海外にいて、いわゆる"選挙活動"は行っていない。しかし知名度はある上に比例代表制を利用しての当選という、完全にルールに則った形で国会議員にまでなってしまった。

この一連の流れは正直言って「面白い」。
これまでの日本の凝り固まったつまらない選挙というシステムを内側から壊しにかかっていると思う。
その一方で、本当にこれでいいのかと疑問が生まれる。
どうやら彼もその所属政党も、壊すことに注力こそすれど、作り直すことには興味がなさそうだ。それどころか結局のところ、国を挙げてのイベントを利用して自分たちが注目されさえすればそれでいいという様子がわかる。

 

こうなってしまえばもう国家の存在がどんどん小さくなっていく。
選挙を行えば目立ちたがり屋が注目を集める。
国会が法律を制定するよりも、YouTubeTwitter利用規約を改訂することの方が影響力を持つ。

 

「面白ければええじゃないか」と囃し立てているうちに、その櫓は崩れていっていないだろうか?

YouTuberという"職業"パン

最近「YouTuber」という言葉がよくわからなくなってきた。

いやもちろんYouTubeで動画を配信している人のこと全般を指すんだろうけど、「子供のなりたい職業」とされるそれは職業なのかと疑問に思う。

というのも、かつては配信者の考えた企画が話題になっていた潮流があったものの、結局のところ外の世界の話題をかっさらうのは【報告】とか【緊急】みたいな見出しがついた動画になっているからだ。
そしてそれらが注目されている点は、企画性というよりも時事性や衝撃性に偏っているように思える。

そんな動画の配信者は一様に、最近起きたニュースについて「解説」をしたり「意見」をしたりしていて、これはこれまで「解説委員」や「専門家」の仕事だったのではないのかと確認したくなる。

あるいは話題になった犯罪者や有名人に「取材」「対談」と称してインタビューした動画などもあるけど、これは「ジャーナリスト」の仕事なのではないだろうか?

 

もちろん誰でもチャンネルを持つことができるYouTubeにおいては、大学教授など本物の「専門家」や、取材に飛び回る本物の「ジャーナリスト」が発信のために動画を配信していることもある。

また「アスリート」がトレーニングの様子を発信したり、「料理人」が食材の調理法を発信するなど、各々の専門分野を世に広く知らしめることにYouTubeを役立てているように見える。

そう考えたときに「YouTuber」は職業ではなく、単にプラットフォームの利用者を指す言葉なんだと合点がいった。

そしてそういった専門的な内容の発信は一朝一夕にできるものではなく、長年の鍛錬の賜物だということを僕ら視聴する人間は常に知っておかなければいけない。

 

今と昔の『独裁者』パン

1940年公開のチャップリンの映画『独裁者』を観た。

子供の頃にチャップリンは何作か観たことがあったけど、大人になって改めて見てみるとやっぱり面白い!

ベタなネタも沢山あるが、逆さに飛ぶ飛行機で懐中時計がポケットから浮いて出てくる場面はとても手の込んだものだし、何よりも理髪師がブラームスの曲に合わせて髭剃りをするシーンなんかは特にチャップリンの「喜劇王」ぶりを遺憾なく発揮していて見事だった。

2022年の僕が見てもちゃんと楽しい映画になっていた。

 

その一方で、この映画ではタイトル通り独裁政権が猛威を振るう。権力者ヒンケルの一存でユダヤ人への仕打ちが酷くなっていくのは歴史が示す通りで見ていてつらくなる。たとえコミカルに表現されていたとしてもだ。

そしてヒンケルは隣国の独裁者ナパロニと会談するが、交渉は決裂する。この場面もコメディとして面白おかしく見せているが、実際の戦争もこんな風に互いのしょうもない見栄の張り合いが引き起こしていることだったりするなぁと考えてしまう。

 

そしてクライマックスの有名な演説シーン。
当時のヒトラーを批判して発せられたセリフであり、当然それは今のプーチンに向けられた言葉のようにも聞こえてくる。それだけでなく"機械のように"生活をする全ての人々へのメッセージともいえると思う。自分にもグサッとくる言葉だった。

 

後で調べてみると、チャップリンはデビュー当初は割と人種差別的なネタもしていたという。それは育ってきた社会そのものがそういう世界だったからだ。
最近の差別的な発言をした人を叩く流れを見ていると、それはそれで仕方がないんじゃないかと思えてくる。これは別に擁護したい訳じゃなく、その人がそういう環境で育ってきてしまったというだけのことなんだと思う。だけど今は物凄い速さで時代も考え方も変わっていってて、その変化に気づけなかったんだろうなと。だから指摘すべきところは指摘して、その後はアップデートしろよでいいじゃんと思うのだ。

チャップリンもまさにそうして戦争と共に考え方をアップデートしたからこそ、生活を脅かされる者たちの気持ちを代弁し、大衆から支持されるコメディアンになったんだろうな。

 

この映画はドイツなどの国々では公開を禁じられ、アメリカでも上映に対する抗議運動が起きたりしたという。

日本でも最近よく表現活動に対する抗議運動が起きるけど、やはりこういった禁じよう封じようという活動は間違った行為だよなぁと何度も首を振りながら考える。

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参院選候補者に期待することパン

今週末は参院選だ。各メディアで候補者の動きや公約、争点が話題になっていると思うけど、僕はちょっと違った視点で書いてみる。

 

中学か高校で習ったことをおさらいしてみると、日本の国会は「衆議院」と「参議院」の二院制で、衆議院は任期4年の解散あり、参議院は任期6年の解散なし、となっている。

 

言い換えると、解散される前に結果(成果)を残さないといけない衆議院議員とは違って、参議院議員には6年間という確約された期間が与えられているということ。だったら今度の参院選の候補者は”長期的な公約”を掲げるべきなんじゃないかと僕は考える。

 

去年の衆議院選挙も、今年の参議院選挙も、結局のところ「直近の問題」が争点として取り上げられている。今回でいえば経済対策とか安全保障とかコロナ対策とか。もちろんどれも今議論すべき大切な議題ではあるものの、こんなわかりきったことだけが参議院選挙の”争点”でいいのだろうか。

そりゃあ有権者だって投票するからにはすぐに結果が欲しいという心理もあるだろうけど、このまま選挙の度に目の前のことばかり取り上げていると、誰も未来の為の議論などしなくなるのではないか?そうやって本質的に2つの議院にほとんど差がなくなっているのが現状だ。

多分政治家でない限りは衆参の違いなんて考えることはほとんどないと思う。下手すると政治家の中にすら国会議員でありさえすればいいという考えの人もいるだろう。それくらいメディアの伝え方が全く同じだ。

 

先に書いたように「日本の国会は二院制」なので、2つの議院の違いが明確にあってほしい。そしてそれはやはり任期と解散の有無に基づいた"公約のスパン”にこそ現れると思う。

だから、衆議院議員に目下の国の問題解決にシフトしてもらっている一方で、6年の猶予がある参議院議員には多少理想論であっても「こんなことを実現したい」という大きな目標を掲げてもらいたいのだ。

 

7月10日の投票日まであと数日。各候補者がどのような「長期の目標」を公約に載せているかに注目してみるのもいいんじゃないか。当然、現職議員には「これまでの6年間の成果を含めた次の6年の展望」を語ってもらいたい。

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おもちゃの立ち位置パン

東京おもちゃショー2022に行ってきた。

 

今年は商談開催のみで一般開催はされなかったが、SNSやテレビ番組の取材を通して広く周知されたと思う。

 

3年前におもちゃショーのおもちゃ大賞についてこんな記事を書いた。

mumusanopinojr.hatenadiary.com

この時指摘した「ボーイズトイ」「ガールズトイ」という部門は昨年廃止されたようだけど、改めて今年の大賞をチェックすると変わってない点も散見される。 

おもちゃ大賞について|東京おもちゃショー2022 INTERNATIONAL TOKYO TOY SHOW

例えば、「AIが音声解析」とか「センサーに反応して喋る」とか「史上最大サイズ」とかって、あくまで大人が感心するものであって、子供の目線では正直どうでもいいことではないだろうか。

あと「キャラクタートイ」って部門があるけど、他の部門のおもちゃもキャラクターものばかり…。とりあえずアンパンマンとかすみっコぐらしをつけておけばいいって感じになってないか?個人的にはこのレジスターのおもちゃは遊び方に広がりがあっていいなと思ってるんだけど、すみっコぐらしがついていないバージョンはない。

 

会場では大手メーカーのブースにも入ってみた。なんと通路の前後左右でいろんな商品のコマーシャルが同時に流れていて、それぞれ担当者がマイクを持って大型スピーカーで喋っているからいろんな音が混在してて、パチンコ屋みたいだ。
僕なんかはいるだけでしんどくなるんだけど、ここの人たちは慣れてるからか、その場で名刺交換したり話したりしている。
こういう環境が当然だと思っている人たちの作るおもちゃが日本のおもちゃ業界を引っ張っているんだということが悲しくなる。

 

じゃあ、僕がどういうおもちゃを「良い」と思っているかを書いていきたいんだけど、単純に「子供の発達や安全について考えられたおもちゃ」だ。

たとえば今回ウッディプッディのブースで見かけたコスメセット。口紅やファンデーションなどの化粧グッズを収納するポシェットが付いている。このポシェットの紐、どこかに引っかかって子供の首を絞めてしまったときに自然と外れるようになっていた。
他にも、『はじめてのしょうぎセット』で、駒に動き方が示してあるのは最近よく見るデザインだが、その上簡単な遊びから始まり段階を踏んでルールを覚えていってもらいたいということから長く使えるよう説明書が丈夫に作られていた。

木のおままごと 知育玩具 ウッディプッディ 【公式】

地味なポイントと思われがちだけど、子供の発達過程がそんなに大きく変わるはずがなく、去年の3歳のおもちゃになかった要素を今年の3歳のおもちゃに搭載する必要なんてない。

だからこそ、本当に評価されるべきは「これまでにない新しいもの」ではなく「これまで起こりえたマイナスを補完するもの」だと思うのだ。

 

Twitterで「おもちゃショー」と検索してみると、「ウルトラマンの劇中アイテムを忠実に再現してほしい」「おもちゃにもAIってすごい」「マジンガーZのフィギュア(¥12,980)」などなど新作おもちゃに反応しているのは"大人"だし、取り上げられる大手メーカーがターゲットにしているのも"大人"であることがわかる。

もちろん「好き」でグッズを集めることを否定する気はないけど、その「好き」を利用して儲かればいいというメーカーのやり方はどうなんだと感じることはある。

 

そういった「大人が喜んで買い集めるおもちゃ」と「子供の発達や安全について考えられたおもちゃ」の呼び方と立ち位置をしっかり分ける必要があるということ、そして後者について大人がもっと真剣に考えることが大切じゃないだろうかというのが僕の今のところの結論だ。

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ユニフォームで選ばないパン

参議院選挙が近づき、徐々にニュースで話題に上ることも増えてきた。それに応じて今はSNSなどで様々な意見に触れることも多い。

そういうのを見ていると、大雑把に判断している人が目についてしまう。

どういうことかというと、例えば自民党に入れる人は自民党に入れるし、自民党に入れない人はとことん自民党を嫌っているような印象で、もし立候補者や公約が野党のものとそっくり入れ替わったとしても投票行動に変化のない人もいるんじゃないかと思うのだ。

わかりやすい例でいうと、憲法改正に賛成なら右派だし反対なら左派、みたいなめちゃくちゃ大雑把にカテゴライズされていたり、もはや具体的な意見などなく「自分は右派だから賛成/左派だから反対」みたいな逆転現象まで起きていたりする。

 

なんというか、党派とかイデオロギーじゃなくて人それぞれの「考え方」が政治に反映されてほしいんだけど、今の選挙制度じゃ無理そう。

テレビやネットの番組でも「若者の投票率を上げるには」と話してたけど、結論はいつも「選挙制度を変える必要があるが、今の制度で受かった人が決めるから無理」に終始してて、もうみんなこの国の一番の問題点は国会だってわかってんじゃん。

 

選挙って「人」を選ぶんだけど、その「人」が公約を果たそうと働くとは限らなくて、それこそ「党」の方針の数合わせになっている場合だって多いし、その「人」自身が不祥事を起こして失墜することも沢山見てきたからもう期待しようがないんだよね。

その点では近頃「国民投票住民投票」について考えてみると「人」じゃなくて「意見」に対して賛成反対を投じることができて、同じトピックについて一人ひとりがじっくり考えているということは実はものすごく重要なんじゃないかと思えてきた。

そうすると、例えば「憲法9条を変えるべきじゃない」と考えている人も、同性婚については「憲法24条が時代にそぐわなくて変えた方がいい」と考えているかもしれなくて、そういう「右左」では括れない「意見」がもっと反映されやすくなる気がする。

 

何度でも言うけどうちの父のように「俺は保守だ」「お前は左翼だ」と枠組みで物事を見てしまっている人は一旦「一人ひとり」ってイメージに立ち返るといいと思う。

 

ちなみに僕は創設以来の楽天ファンだけど、楽天の選手だって2005年からとっくに入れ替わってるし、楽天から出て行った選手もいれば他から来た選手もいる訳で、全く同じチームという訳じゃない。なのになぜ応援しているんだろう?とよく思う。これは野球というスポーツでもなく選手のプレーでもなくユニフォームが好きなだけなんじゃないのかと(笑)

まぁスポーツだからそれでもいいんだけど、政治は一人ひとりの生活に直結することなのでユニフォームで選ばないようにねって話。

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マイリストを処理するパン

NETFLIXで面白そうと思ってマイリストに入れたものの、最初の数話だけ見てそのままになっている作品は誰にでもあるはず!

そういった「積極的に見ようとはならないけど、いつか見ようと思ってる作品」が僕のマイリストにもいくつかあった。

普段は映画やドラマはオリジナル音声に日本語字幕付きでしっかり見たい派だが、そういう作品はもう片手間でも見てしまえという気持ちになった。

その結果、「料理など家事をしながらイヤホンで日本語吹き替えの音声を聞いて時々立てかけたスマホの画面に目をやる」方式の視聴スタイルを確立してしまった。

結論としては、これやってみてよかった!

というのも、見ないまま何年も放置していたドキュメンタリーがこんなにも良作だったということを再認識できたからだ。

 

その中の一つが『世界の"現実"旅行』(https://www.netflix.com/jp/title/80189791

ニュージーランドのジャーナリスト、デービッドが世界各地の事件・事故・災害など人の「死」にまつわる場所を旅する「ダークツーリズム」の取材をしてまわるシリーズだ。

危険な街に繰り出したり、ガタイのいい男に詰められたりするデービッドはメガネをかけたひょろひょろの冴えない男性。このキャラクターが怯えながら、しかし皮肉を言いながら取材していくのが面白い。

しかもどれだけ危険な取材でも、登場人物たちの日本語吹き替えの声が棒読みで弱々しくて緊張感に欠けるのが、作風とマッチしてるのかしてないのかわからなくさせてくる。生まれて初めて言うけど「日本語吹き替え最高!」

内容に話を移すと、動物を銃で撃つ体験や、ドイツ軍とイギリス軍になりきる第二次大戦ごっこ、核実験後にできた湖で泳いだり、元特殊部隊の本格的な拷問体験など、目を覆いたくなるものが並ぶ。映像を見ず本当に聞いてるだけで正解だったかも。

このドキュメンタリーでは、ディズニーの『リメンバー・ミー』などで取り上げられたメキシコの死者の祭りや、インドネシアの死体を清める儀式など様々な伝統や文化に参加する。こういうのを見ていると、僕がこれまで当たり前だと思っていた「死」についての捉え方は一元的でしかないことを思い知らされる。

もう一つ、先ほど記した「拷問体験」について、わざわざ精神鑑定を受け、誓約書にサインをしてまで受けに行く「拷問」とは何なのか、正直全く理解できなかった。しかし少し考えなおすと、最近日本でも流行っている「リアル脱出ゲーム」ってわざわざ脱出するために閉じ込められに行くという意味では「拷問体験」程ではないけど同じライン上にあるような気がしてきた。

 

他にも同じ要領で面白いドキュメンタリーを見た(聞いた?)ので今度紹介してみようと思う。

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